楽焼のお家元をまとめてみました。
初代
長次郎(ちょうじろう)
- ?年~1589年(戦国~安土桃山時代)
- 楽焼の創設者で、黒楽と赤楽を造った。
- 聚楽第を建設の際に、現場の土から焼き物をつくり、秀吉から「聚楽焼」を賜る。
- 黒楽4つと赤楽3つからなる、利休七種茶碗(長次郎七種)を製作。
2代
常慶(じょうけい)
- ?年~1635年(戦国~江戸初期)
- 吉左衛門を名乗り、「楽家」と正式に名乗ることを認められる。
- 白色の香炉釉を考案。
同時代の家元
初代 利休宗易(りきゅうそうえき/1522〜1591年)
2代 少庵宗淳(しょうあんそうじゅん/1546~1614年)
3代 元伯宗旦(げんぱくそうたん/1578~1658年)
初代 利休宗易(りきゅうそうえき/1522〜1591年)
2代 少庵宗淳(しょうあんそうじゅん/1546~1614年)
3代 元伯宗旦(げんぱくそうたん/1578~1658年)
3代
道入(どうにゅう)
- 1599年~1656年(江戸時代)
- 別名ノンコウと称され、本阿弥光悦と交流が深かった。
- 釉薬が幕のように垂れた景色の「幕釉」の技法を編みだした。
- 有名な作品にノンコウ7種がある。
同時代の家元
2代 少庵宗淳(しょうあんそうじゅん/1546~1614年)
3代 元伯宗旦(げんぱくそうたん/1578~1658年)
4代 仙叟宗室(せんそうそうしつ/1622~1697年)
2代 少庵宗淳(しょうあんそうじゅん/1546~1614年)
3代 元伯宗旦(げんぱくそうたん/1578~1658年)
4代 仙叟宗室(せんそうそうしつ/1622~1697年)
4代
一入(いちにゅう)
- 1640~1696年(江戸時代)
- 初期は父・道入の影響が、利休百回忌からは初代の長次郎を意識した作風と言われる。
- 黒釉に朱色の釉が混ぜた「朱釉」(しゅぐすり)を完成させた。
同時代の家元
3代 元伯宗旦(げんぱくそうたん/1578~1658年)
4代 仙叟宗室(せんそうそうしつ/1622~1697年)
5代 不休斎常叟(ふきゅうさいじょうそう/1673~1704年)
3代 元伯宗旦(げんぱくそうたん/1578~1658年)
4代 仙叟宗室(せんそうそうしつ/1622~1697年)
5代 不休斎常叟(ふきゅうさいじょうそう/1673~1704年)
5代
宗入(そうにゅう)
- 1664~1716年(江戸時代)
- 娘婿で、尾形光琳とは従兄弟同士にあたる。
- 楽家の歴史や記録をまとめた「宗入文書」を記した。
- 「カセ釉」という荒い鉄肌を思わせる独特の釉薬を使用した。
同時代の家元
4代 仙叟宗室(せんそうそうしつ/1622~1697年)
5代 不休斎常叟(ふきゅうさいじょうそう/1673~1704年)
6代 六閑斎泰叟(りっかんさいたいそう/1694~1726年)
4代 仙叟宗室(せんそうそうしつ/1622~1697年)
5代 不休斎常叟(ふきゅうさいじょうそう/1673~1704年)
6代 六閑斎泰叟(りっかんさいたいそう/1694~1726年)
6代
左入(さにゅう)
- 1685~1739年(江戸時代)
- 表千家六代覚々斎宗左から左字を受けて左入となる。
- 隠居後も赤黒合わせた200碗の茶碗「左入二百」など精力的に制作。
同時代の家元
5代 不休斎常叟(ふきゅうさいじょうそう/1673~1704年)
6代 六閑斎泰叟(りっかんさいたいそう/1694~1726年)
5代 不休斎常叟(ふきゅうさいじょうそう/1673~1704年)
6代 六閑斎泰叟(りっかんさいたいそう/1694~1726年)
7代
長入(ちょうにゅう)
- 1714~1770年(江戸時代)
- 色使いが巧みで黒楽は艶があり、赤楽は数種類の色調をもっていた。
- 大小2つの井戸茶碗を重ねた「島台茶碗」を作成した。
- 香合や置物でも優れた作品を残している。
同時代の家元
6代 六閑斎泰叟(りっかんさいたいそう/1694~1726年)
7代 最々斎竺叟(さいさいさいちくそう/1709~1733年)
8代 又玄斎一燈(ゆうげんさいいっとう/1719~1771年)
6代 六閑斎泰叟(りっかんさいたいそう/1694~1726年)
7代 最々斎竺叟(さいさいさいちくそう/1709~1733年)
8代 又玄斎一燈(ゆうげんさいいっとう/1719~1771年)
8代
得入(とくにゅう)
- 1745~1774年(江戸時代)
- 長入の長男で、18才で家督をつぐも病弱のため25歳で隠居。
- 作品は極めて少ないが、完成度が高く円熟した作風とされる。
- 黒楽よりも赤楽の作品が多く伝わっている。
同時代の家元
7代 最々斎竺叟(さいさいさいちくそう/1709~1733年)
8代 又玄斎一燈(ゆうげんさいいっとう/1719~1771年)
9代 不見斎石翁(ふけんさいせきおう/1746~1801年)
7代 最々斎竺叟(さいさいさいちくそう/1709~1733年)
8代 又玄斎一燈(ゆうげんさいいっとう/1719~1771年)
9代 不見斎石翁(ふけんさいせきおう/1746~1801年)
9代
了入(りょうにゅう)
- 1756~1834年(江戸時代)
- 長入の次男で、15歳で兄の得入から家督を継ぐ。
- 伝統的な楽茶碗を数多く制作(約200あまり)し、楽家の伝統や作風を守った。
- 隠居後も、翫土軒の名で精力的に活動。
- へらづかいに優れ、掛け分けも創案。
同時代の家元
8代 又玄斎一燈(ゆうげんさいいっとう/1719~1771年)
9代 不見斎石翁(ふけんさいせきおう/1746~1801年)
認得斎柏叟(にんとくさいはくそう/1770~1826年)
8代 又玄斎一燈(ゆうげんさいいっとう/1719~1771年)
9代 不見斎石翁(ふけんさいせきおう/1746~1801年)
認得斎柏叟(にんとくさいはくそう/1770~1826年)
10代
旦入(たんにゅう)
- 1795~1854年(江戸時代)
- 了入の次男。表千家10代吸江斎から千宗旦の一字をとり旦入となる。
- 了入に伴って、紀州(和歌山)、紀州徳川家の偕楽園窯に従事する。
- 長次郎二百五十回忌に、黒樂茶碗を250碗あまりを制作。
11代
慶入(けいにゅう)
- 1817~1902年(江戸後期〜明治初期)
- 10代旦入の婿養子で、29歳で襲名。
- 懐石道具や煎茶道具など制作し、作品は多種多様。
12代
弘入(こうにゅう)
- 1857~1932年(江戸後期〜明治初期)
- 慶入の長男で15歳で家督を継ぐ。
- 明治の変革期に、衰退する伝統文化を守った。
- 長次郎三百回忌に、赤樂茶碗を300碗あまり制作した。
13代
惺入(せいにゅう)
- 1887~1944年(明治〜昭和)
- 弘入の長男で32歳で家督を継ぐ。
- 茶道研究誌「茶道せゝらぎ」を発刊。
- 釉薬の研究にも熱心で、全国各地の鉱石を釉薬にしようと試みた。
14代
覚入(かくにゅう)
- 1918~1980年(大正〜昭和)
- 惺入の長男。
- 1977年に財団法人「樂美術館」を設立。
- 1978年に無形文化財保持者に認定。
15代
直入(じきにゅう)
- 1949~(昭和〜)
- 覚入の長男で、東京芸術大学彫刻科卒業後イタリアに留学。
- 滋賀県の佐川美術館の吉左衞門館と茶室の設計に携わる。
- 「焼貫」の技法を駆使し、前衛的でモダンな作風を築きあげる。
16代
吉左衛門(きちざえもん)
- 1981~(昭和〜)
- 直入の長男で、東京造形大学彫刻科卒業、イギリスにも留学。
- 2019年に16代を襲名。
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