益田鈍翁(ますだどんのう)

本名 益田孝 ますだたかし

法号 鈍翁  どんのう/どんおう

時代 江戸幕末/明治/大正/昭和

生没 1848〜1938

職種 実業家

職歴 陸軍→大蔵省→三井物産

出身 佐渡島(新潟県佐渡市)

益田鈍翁の読み方は「ますだ どんおう/どんのう」

佐渡島(新潟県佐渡市)で生まれで、本名は益田孝(ますだたかし)。父の仕事で江戸へ行った鈍翁(孝)はヘボン塾で早くから英語を習得。父とともにヨーロッパも歴訪し、語学力と見聞を磨きます。帰国後は陸軍へ入りますが、明治維新の際に井上馨に才覚を認められて大蔵省へ入省。まだ若いうちにその職をしりぞき、井上馨と三井物産を創業し初代社長に就任。明治時代を牽引する実業家でした。

茶の湯は弟のひとことがきっかけ

充実した実業家人生を歩んでいた鈍翁が茶の湯をはじめたのは40才のころ。
鈍翁が勤めている三井家は代々茶の湯をたしなむ一家ですが、それを知った鈍翁の弟が
「美術品の収集はするのに、なぜ茶の湯をしないのか」とすすめたのがきっかけです。
その後、表千家不白流にて茶の湯をはじめます。

鈍翁の名前の由来は茶碗「鈍太郎」

鈍翁の名前の由来は、明治40年頃に、表千家6代目家元・覚々斎(かくかくさい)の手作りの黒楽茶碗「鈍太郎」を手にしたことによります。その茶碗を気に入り、「鈍」の字と「翁」を組み合わせて「鈍翁」とし、品川の御殿山に茶席を立てた時も「太郎庵」の名前をつけました。

茶会「大師会」の創設者

現代にも続く茶会を創設したことも鈍翁の功績の一つです。名高い実業家や著名人を招き、空海(弘法大師)追悼と古美術の鑑賞を目的に大師会を開催。招かれること自体がステータスとなるほど有名な茶会になりました。また、京都の光悦寺で開催される光悦会や、名古屋の敬和会の誕生にも一役買っていたようです。

益田鈍翁1848~1938年と同時代のひと・もの・こと

同世代のひと

裏千家
11代 玄々斎(げんげんさい)
1810〜1877年
12代 又玅斎(ゆうみょうさい)
1852〜1917年

日本
小林清親(こばやし きよちか/浮世絵)
1847〜1915年
下村観山(しもむらかんざん/日本画)
1873〜1930年
岡田三郎助(おかだ さぶろうすけ/洋画)
1869〜1939年

世界
チャイコフスキー(音楽家)
1840〜1893年
ドヴォルザーク(音楽家)
1841〜1904年
モネ(画家)
1840〜1926年
ゴーギャン
1848〜1903年

同世代のできごと

日本
1867年 王政復古の大号令
1871年 廃藩置県
1889年 大日本帝国憲法を発布
1925年 普通選挙法が成立

世界
1869年 スエズ運河が開通
1911年 (清)辛亥革命
1917年 (露)ロシア革命
1922年 (露)ソ連が成立

歴史上の茶人は他にも!
千宗旦
小堀遠州
松平不昧
益田鈍翁

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