松平不昧

松平治郷(まつだいら はるさと)(1751~1818年)

本名 松平治郷(まつだいらはるさと)

松平不昧(まつだいらふまい)

生没 1751〜1818

時代 江戸中期〜後期

身分 大名

出身 出雲(いずも)の松前藩(島根)

主君 10代 徳川家治(とくがわ いえはる)

武家茶道の石州流不昧派(せきしゅうりゅう ふまいは)の開祖

「不昧」の本名は治郷(はるさと)

実は「不昧」の名前は21才のときに江戸の天真寺の大巓宗碩〈だいてんそうせき〉のもとで修行し授かった法号で、正式に名乗ったのは隠居後のことでした。

茶道具研究家

10代のころから茶の湯と禅を学び、
17才(1767年)で松前藩の藩主になったのち、
20才でわび茶の精神を説いた「贅言」(むだごと)を記しています。
茶道具の収集にも大変熱心で、不昧のあつめた道具は約800点。
のちに雲州名物とよばれます。

「古今名物類聚」(ここんめいぶつるいじゅう)を書く。

最大の功績は「古今名物類聚」(ここんめいぶつるいじゅう)を書き残したことです。
それまで先人たちが集めてきた名品(大名物や中興名物など)をまとめて詳細な図や文章におこし、詳細に種類分け、ランク分けした本です。
37才(1787年)で序文を書きはじめてから完成するまで約10年。全18巻の茶道具図鑑になりました。

大名物:足利時代に指定された名品
名物:利久の時代に指定された名品
中興名物:小堀遠州が指定した名品

茶室 菅田庵(かんだあん)を建てる

不昧が42才(1792年)のころに菅田庵を立てました。広さはわずが1畳台目の茶席でしたが、狭さを感じさせないように、手前座と客座の間に中板を入れたり、窓を連子窓にして光を多く取り入れられるような工夫がされています。
また敷地内には「向月亭」という4畳半の茶室もあります。

隠居後も茶道に邁進

隠居先は茶室が11室もある品川の大崎下屋敷。
そこで屋敷全体を使った大茶の湯会も開かれていたようです。また最晩年には小堀遠州が1612年に建てて火災で焼失した、京都の孤篷庵(こほうあん)の再建にも携わっています。
晩年にも「瀬戸陶器濫觴(せととうきらんしょう)」という3巻の本も書き残しています。

藩主として財政難を乗り切る

17才で松前藩の藩主となりましたが、当時の財政は滅亡がささやかれるほど厳しいものでした。
そこで農業改革に乗り出し、商品価値の高い、木綿や朝鮮人参など生産をすすめました。治水事業や質素倹約で財政難をみごとに乗り切りました。その後は茶道具収集で、1500両もする茶入れなど、高価な道具を買い集め散財したとも言われますが、徳川家から目をつけられないための金策だとも考えられています。

年表

19才 正式に石州流茶道を学ぶ
21才 大巓和尚より「不昧」の号を授かる
25才 茶事をもよおす(茶会記で一番古い記録)
37才 「古今名物類聚」(ここんめいぶつるいじゅう)を書きはじめる。
42才 菅田庵(かんだ)を建てる。
56才 隠居を許されて、剃髪する。
62才 京都の小堀遠州がたてて火災で消失した孤篷庵(こほうあん)の再建をはじめる

松平不昧1751~1818年と同時代のひと・もの・こと

同世代のひと

裏千家
9代 不見斎(ふけんさい)
1746〜1801年
10代 認徳斎 (にんとくさい)
1770〜1826年

日本
喜多川歌麿(きたがわうたまろ/浮世絵)
1753〜1806年
葛飾 北斎(かつしか ほくさい/浮世絵)
1760〜1849年

世界
ハイドン(音楽家)
1732〜1809年
モーツァルト(音楽家)
1756〜1791年
ゴヤ(画家)
1746〜1828年

同世代のできごと

日本
1767年 田沼意次が側用人となる。
1782年 天明の飢饉
1787年 寛政の改革

世界
1769年 イギリス産業革命(ワットの蒸気機関改良)
1776年 アメリカ独立宣言
1789年 フランス革命

歴史上の茶人は他にも!
千宗旦
小堀遠州
松平不昧
益田鈍翁

コメント

タイトルとURLをコピーしました