小堀遠州

小堀遠州

本名 小堀政一(こぼり まさかず)

通名 小堀遠州(こぼり えんしゅう)

生没 1579〜1647

時代 安土桃山〜江戸前期

身分 大名

主君 豊臣家→徳川家

師匠 古田織部

弟子 徳川家光、松花堂昭乗

江戸前期を代表する茶人で父親の正次とともに徳川家康につかえました。

大名で庭や城を作る作事奉行や伏見奉行のかたわら、生涯に400回以上茶会を開催。

道具の収集にも熱心で、集めた茶道具は中興名物と呼ばれるようになります。

本名は小堀政一(まさかず)

1579年に滋賀県で誕生し、父が豊臣秀長の家臣のため早くから小姓として豊臣秀長に仕えました。

千利休とはこの秀長の小姓時代に給仕をつとめていた際に会っていたという記録があります。

1595年に父とともに伏見にうつり古田織部から茶の湯を学びはじめます。その後、大徳寺の春屋宗園のもとで禅の修行もします。

1598に秀吉・秀保が亡くなった後は、父親の政次とともに徳川家康につかえました。

1608年には駿府城普請奉行として城の増築・修繕の功績から、従五位下 遠江守の位を授かります。
1624年に伏見奉行をついたあと数々の茶会を催します。
1647年、69歳の時に伏見奉行屋敷にてなくなりました。

あつめた茶道具を遠州蔵長にまとめる

遠州があらたに選んだ茶道具を中興名物といいます。

この時代には秀吉以前の東山御物や大名物は秘蔵の品として入手困難となっていました。

そのため、遠州は自ら見出したよりすぐりの茶道具に銘をつけて世間に広めます。

和歌や源氏物語や伊勢物語の古典から銘をつけ、ある一つの特定の物を「本歌」と定めたり、似たデザインの道具も集めて区分けをし、遠州蔵長にまとめました。

こうして遠州が選び有名になった茶道具はのちに中興名物と呼ばれるようになります。

年表

1579年 近江の国、小堀村で生まれる
1588年(9才) 利久にお目にかかる
1591年 利久が切腹
1593年(14才) 古田織部に茶を習う。大徳寺に参禅
1597年(18才) 京都の伏見ではじめての茶会
1604年(25才) 父が亡くなり、当主になる
1608年(29才) 作事奉行の功績で従位下遠江守になる
1612年(33才) 大徳寺の中に孤篷庵を建てる
1619年(40才) 伏見奉行になる
1636年(57才) 徳川家光に油滴天目で献茶
1647年(68才) 遠州死去

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